オープンダイアログ

自分との対話ができなければ、他人との対話を開くこともできない

《 自分との対話ができなければ、他人との対話を開くこともできない 》
~「オープンダイアローグ 私たちはこうしている」(森川すいめい著・医学書院・2021刊)を読んで ~

◆ オープンダイアローグとは?  (*以下ODと略)

フインランドのトルニオという小さな町の精神病院〈ケロブスタ病院〉で、1984年 対話主義を宣言しました。
・その人のいないところでその人の話をしない。
・1対1で話さない。
・依頼があったら24時間以内に精神科の専門家チームが出向く。
・そこで本人・家族・関係者を交えて対話をする。

シンプル極まりないこの“手法”に、なぜ世界が注目するのか?

森川すいめいさんは2015年からケロブスタ病院へは2回・フインランドへは11回訪問し、ODのトレーニングを受け、トレーナーの国際資格を取得。
何か魔法のようなものが、特別な治療方法があるかもしれないと思って扉を開けた向こうに見えて来たのは、ただの“対話”だったそうです。
2016年から自らの病院でスタッフと共にODの実践を開始。
この本をスタッフと共に書き上げました。

〇 昨年、森川すいめい著 「感じるオープンダイアローグ」(講談社) を読みました。

フインランドでODのトレーニングを受ける中で、参加者が自分の鎧を脱ぐための自己紹介があった。
そこに参加した森川さんも自分の家族のことを話すことが最も苦手というなかで、長い独白をした。
その内容が克明に記されていました。
「自分との対話ができなければ他人との対話を開くこともできない」
この本の中で、森川さんは自分の弱さと苦悩を曝け出したようです。
そこから始まりました。

〇 「OD 私たちはこうしている」という本の中で言うと~

● 話を聴くことで精神状態が不安定になるとは?
自分の抱える傷を十分に癒し、回復してなければなりません。相談に来た方が自らの苦悩を話す。それは話し手にとっては心の傷の蓋を開くのと同じです。このとき専門職が怒ったり、よい方向へ持っていこうとしたりして、その場に留まれずに逃げてしまえば、取り残されたその人はとても辛い思いをするでしょう。
例えば、死にたい ➡ そんなこと言うものじゃない。というような応答です。(p.138)
話を聴く専門職にはその責任と覚悟が求められます。“その場に留まる”なんですね。

● この30年でその責任と覚悟が求められ、鍛え続けられてきました。その場に留まれなかったことも……。
相手が沈黙した時は、30分は付き合っていられるようになりました。最長では、自分のことを語り始めたお年寄りは3時間半話し続けました。その後は声がかからなかったので、語れてよかったのでしょう……。
高校時代に現代詩を書いていた私は、夜、部屋の窓に映る自分の顔と向き合って書いていました。それが自分との対話の練習になったみたいです。

話を聴くボランティアからスタートした私は、1対1で話すことが多く、相手より半分以上長く話さないようにしていました。そのコツは、相手に訊く、です。すると相手は応答してくれるのです。
そうした中で感じたことは、1対1の相談支援関係を1年以上続けると、多くの相談者は“田中さんは私の言うことを何でも聴いてくれる人“ になりがち。3人以上の対話が求められると思いました。
そして、相手のことを100%理解するということは無理なのだ、と。
謙虚であり続けないといけないと思いました。
この間、1対1の対話が減ってきました。対話に参加できる人が周りにいれば、3人以上で対話するようになっています。当然のことですが、3人以上いると様々な声が聴けます。

● 私が対話することで心がけていることは~
まず初めに、“では、何でもどうぞ、話してください”と言います。
そして話し始めたら、一区切りつくまで口を挟みません。
相手が沈黙する時間は大事な時間だと思うので、待っています。
30分くらいしたら訊きますね。
最後には、“もう少しで終わりたいと思いますが、言いたいことなどあればどうぞ”と言います。
またこの15年間で言うと、相手や関係者とケンカとなったことはありません。売られても買わないですね。
私から対話を壊すことはありません。

相手のことを理解しきることはできませんが、理解しようとする態度そのものが、困難に直面した人の助けになることを、ODの実践者は経験しています。(p.71)
このことはこの30年間の中で私も実感してきたことです。こどもSWの中でも子どもたちから感じ取ります。
考えてみれば、”対話”ってどこにでもある場ですよね・・・。

〇 「対話中はメモを取らない」(p.100)

ケロブスタ病院では、最初の電話の時や、受付の手続きの時以外はメモを取りません。カルテにも記載することは殆どありません。「今日話されたことは今日話したかったことで、次に会うときには違う気持ちになっているかもしれないから」と書かれています。

私は30年前から相談面接でメモを書いてきました。相談センターで仕事を始めて職員研修会に参加。
特に「身体知と言語 ~対人援助技術を鍛える~」(奥川幸子著・中央法規・2007刊・670page)を相談支援のバイブルと思っていて、逐語録は大事で、関係者で共有することを基本として来ました。
記録を重ね共有することで、相談者の変化・成長を受け止めることができます。
ただこの頃、始めの方だけメモして、あとは相手の表情を見て向かい合うことが増えてきました。

私のおふくろは97才です。5年前に介護保険を利用するようになりました。ふるさとの新宮市で一人暮らしをしていましたが、かかりつけ医などから子どものそばの有料老人ホームへ入った方がいいと言われ、今年、私の住む近くに入所しました。するとすごく落ち着いてきて、要介護2から要介護1になりました。(笑)
昨日・本日のことは忘れていることが多いですが……。
週2日のペースで面会に行っています。
その時間はメモをせず、おふくろの表情を見ながら対話しています。

● 「心のお仕事」(2021刊・河出書房新書)という本のなかに森川すいめいさんの〈ホームレス〉という
一文が入っていて、精神科医になった目的が書かれています~
「東京の豊島区に〈ホームレス〉と呼ばれる、住まいを失った人達がやって来る小さなクリニックがある。
僕は医者になった後で、精神科医になると決めた。ホームレスの心を守りたかった。尊厳を守ると決めた。」

〇  この本の序章は〈ODはこうして生まれた〉です。

「診断と治療だけでは助けにならなかった。ほとんどの困難は診断名の外にあるからです」で始まる。
ケロブスタ病院で対話を重ねることで、多様なことが見えてきました。困難に直面している人たちを助けるにあたって、診断や治療が占める部分は本当に小さいということ。医学以外の助けがたくさん必要だということです。(p.17)

私がボランティアを始めた30年前、自殺未遂をした母子に訳を聴いたところ、「死んだら入るお墓がない。親が死んだら子どもは生きていけない」とのことでした。緊急入院した病院では何も聞いてくれなかった。
動いて見えてきたことは、お墓はふるさとの祖霊塔に入れることが分かり、子どもはしばらくしてグループホームに障害年金で入れました。病名で一括りにできるほど人間は単純ではないと感じます。
“ODの根源”を困難に直面した当人のいないところでその人の話はしない” と指摘しています。
15年前、セーフティーネットからこぼれた人の支援センターでは、当人抜きの支援会議はしませんでした。
親族・友人のネットワークも大事にしました。印象深いケースは、当人の中学時代の同級生仲間が支えてくれました。関わり方が温かいし、深いのです。大人数の兄妹のその子どもが支えてくれたケースもありました。
また、離婚されている場合は、当事者の了解が得られたらその相手の方にも会ってお話を聴きます。
〈怪人20面相〉が私の理想像です。相手を多面的に理解しようと思います。

〇 私たちのクリニック(みどりの杜クリニック)がODを始めたのは1915年9月です。

対話を諦めないで続ける、そうしたらきっとどこかで何かが見つかるように思います。
そうするしかないのだということがODから学ぶ要諦なのだと思います。そこから見えて来る小さなことをひとつ一つ確認しながら、小さな一歩を明日から始める。
ケロブスタ病院のスタッフたちからは、「やってみたらいいよ」といつも言われます。(p.187)

私もそう思います。やってみて考えましょう! ODの理論を学んでから、というのは違うみたいです。
相談者の側から言うと、応答できるということは困りごとがある、相談したいという気持ちの表れだと思います。
応答が続くと何とかなるな、という実感が芽生えます。

〇 私は対話が進むための「一つの見え方を話している」という意識を持って話します。(p.77)

自分がどう思ったかを話す「責任」が専門職にはある。思ったことが正確に相手に伝わるかを知る必要があります。ケロブスタ病院ではこれらについてもトレーニングします。相手への尊重する気持ちや、対話的であろうとする気持ちを持っていることが前提です。(p.79)

先日、引きこもりの男性と話していて、「家族と同居し始めると思うと緊張し始めるのです」と言ったら、間髪を入れず「田中さんは、緊張に焦点が当たってしまうのだよね。両親から提案されたことにどう応答するのかが焦点だと思うな。揺るがないからそう言えるのですね」と彼は言いました。
対話をして、彼と家族の人生ストーリーの中での今を、いつも自分の中で整理しています。
もちろん整理できていないときもあります。その時は〈小舟に一緒に乗って揺られる〉ことにしています。
先日両親と話した時は、「この4年間を振り返って、今、こういうところへ来ているのではないでしょうか?
そのことへの両親の関わり方を整理しておいた方がいいと思います」と伝えました。
「その後、両親からはそのことについてはこう考えています」と応答がありました。
親子の対話も始まりました。

〇 この本のコラムのなかに〈統合失調症の患者数はさらに減る〉とありました。

ケロブスタ病院を受診する統合失調症の患者数は、この20年くらいで10分の1以下に減っています。
現代精神医療でも、発症した初期に適切な治療を受ければ長引かず回復して、統合失調症の診断には至らないと分かっています。(p.130)

こどもSWのなかでも、保育園や小学校低学年で適切なケアを受ければ、発症には至らないと感じています。
それには、保育園や小学校での親をはじめとする見守りケアと連携が問われていると思います。
トラウマを抱えていたり、グレーゾーンのこどもたちも多いからです。

〇 その間(ま)が話した本人にとって、自分の言葉を自分で振り返るための大切な時間になっていることがあります。

“沈黙に戸惑ったら聞けばいい”
間が生まれたときは、リフレクティングに入る最適なタイミングです。
対話の場では使われた言葉を使うことが大切です。(p.141)
私は相手が沈黙したら30分は黙って待っています。その時間は大切な時間だと感じてきました。
そして、訊きますね。すると、応答してくれます。

〇 本書で一番気になった章は〈第7章・対話的な組織になるために〉でした。(p.182~)

項目は7つ。
・先生と呼ぶのをやめてもらった
・スタッフ間での会議を対話的にした
・私自身が対話のトレーニングをした
・仲間づくり
・対話トレーニングプログラムを作った
・話し合いを続ける
・諦めない。

私のクリニックでもケロブスタ病院と同じようなトレーニングを開始。ひとり120分弱の時間で、自分の話や家族の話をし、仲間にリフレクティングをしてもらい、そしてまた話すというものです。
なんだか一生続く友人になった感覚になります。それぞれの組織に合ったやり方がありますから、理念は大事にしながらも、柔軟にプログラムを作っていければよいと思います。(p.186)
森川さんは〈おわりに〉にこう記しました。(p.192)

“対話が困難になった関係性のなかで対話を開く” ただそれだけを大切にしているのがODだと思います。