障害者の傷、介助者の痛み」(渡辺琢 著、青土社・2018刊)を読んで。

    ~ 津久井やまゆり園で亡くなられた人々は、地域で生きることができなかったのか?
      介助の現場で殺意や暴力と向き合う時。 「心的外傷と回復」(ハーマン著)の衝撃! ~

 この本を3回、読みました。開こうとすると何か重たい…。 映画「道草」(宍戸大裕監督)は見ました。
施設に預けざるを得ない親の方を、地域で暮らそうとしても受け皿が見つからない方を、知っています。

 やまゆり園にいて、今グループホームなど地域で暮らすことを選んだ二人の障がい者のことが書かれています。
 一人は、松田智子さん。
 2018年、筆者はお姉さんと彼女を訪ねた。“彼女は嬉しそうに自分の足で歩き、迎えに来てくれた。ベルト固定はもちろん、車いすも使っていなかった。施設にいた当時の激しいチックに歪んだ表情からは想像できない穏やかな表情を取り戻しました。言葉と一緒に。しかも言葉は日々増えているようです”
と書かれている。(p.387)

 「笑ったり泣いたり遊んだりちょっと言い合いになったりしてもいいんだ、そういう感覚を取り戻していくこと、そうしたことが回復体験の核心なのであろう。」 (p.358)

 それを読んで~ 不登校だった若者たちが、元気になっていく中で、当時の気持ちを思い出して、言葉にしてくれます。中から湧き出してくる感じです。
 家族・親族と話し合い、折り合いをつけ、超えていきます。
“私の気持ちを言語化して、こころの中に伝えてくれます。ありがとう。” と言った若者もいます。

 障がい者の支援現場で、パニックを起こし、支援者を振り回し、最大限の侮辱した言葉が発せられた。
そのとき、ぼくはある暴力的な感情にとらわれ、ここで彼に対して暴力をふるうことができたら・・・そんなことを感じていた。・・・彼は取り乱したのかということ、それらのことを理解しないといけないと感じた。 (p.308)

「心的外傷と回復」(ジュディス・L・ハーマン著。中井久夫訳・みすず書房・1999刊)より~
〈両極を揺れ動く人間関係〉 極めて攻撃的かと思うと突然柔和な態度をとる。人から離れたい、人を遠ざけたい、という強い思いが来たかともうと、人にすがりたい、べったり依存したい、という衝動が来る。
つまり、強いが不安定な、両極間を往復する人間関係が生まれる。
他者に対する信頼感、そして自己自身に対する信頼感が壊れていなければ、そうした両極を揺れ動くことなく、バランスを取りながら、ほどほどのところで人間関係をとりもてるだろう。しかし、つり合い(バランス)というものは、まさに外傷を受けた人が持てない当のものである。 (p.332)

〈外傷について抵抗力のある人の特徴〉 目ざとく敏捷で積極的であり、人付き合いがよく、自分以外の人たちとコミニュケーションする手腕がすぐれ、自分の運命は自分で決められという強力な感覚を持っていた。(p.346)

〈つながりを取り戻していくこと〉 回復、つまり つながりを取り戻す ということの原則は、その自己感覚は粉々に打ち砕かれている。この感覚は、元来他者とのつながりによって築かれたものであるから、他者とのつながりにおいてしか再建できない。(p.356)

 この15年ほど対人支援の仕事をして、両極端に振れたりして相談支援で通じあうのが難しかった人達がいました。
 突然、これまでの人生の中で、人間不信になる体験をしたことを持ち出して、“前へ進めない!” と言い出す人。周りに信頼できる人が一人もいなくて・・・。
 初めから、支援者をだます気でいた人。
 自分のニーズを隠していた人。半年ほどすれば、いろいろなことを通して、真のニーズが見えてきます。
 筆者が〈衝撃〉 と書いたのは、現場で感じていた困難を解きえなかったことが、本書から見えてきたことを指しています…。
そして、不確実性に耐えながらじっくり向き合っていると、突然 本人が語り始めます・・・。 (田中敏夫記)


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