「人間失格」を読んで

「人間失格」を読んで
“主語を小さくして考える。自分はどうかと問う”

〇 〈18才からの人生を楽しむために〉(原田朱美さんの講演)という信毎記事(12.7付)を読み、その中で「人間失格」の一節、“それは世間が許さない、じゃない。あなたが許さないのでしょう?”の紹介がありました。講演の副題は、「自分はどうか?と問うことから」。
〇 原田さんはその一節を引用し、“主語を小さくして考え、自分の進路は自分で選びましょう!”と18才の人に呼び掛けました。
そして、大人になると、仕事でも、子育てでも、趣味でも、自分で決められることが増えます。
他人は責任を取ってくれません。“人生のピークは18才ですか?” と問われ、こう答えたそうです。“私は45才の今の方が楽しいよ”と。
〇 私は20才の頃、1年ほど 「生と死」 について考えました。結論はシンプルなもので、“しっかり生きることを全うし、死を迎える”でした。
その中で、「人間失格」を読み、太宰が心中した(*1948年・39才)、玉川上水へ行きました。

●「人間失格」の私が感じた部分のあらすじを書き出してみます。
・1枚の写真は、もっとも奇怪なものでした。自然に死んでるような、忌まわしい、不吉な匂いのするものでした。(p.7)
・私の道化が同級生のHに見破られました。ナンデ!発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。(p.26)
・おばけの絵を描くよ。地獄の馬を描くよ。陰惨な絵が出来上がりました。(p.62)
・非合法。自分にはそれが幽かに楽しかったのです。(p.46)
・ツネ子がいとしく、初めて恋の心が動きました。(p.62)
・おまえの女道楽もこの辺でよすんだね。これ以上は世間が許さないから。世間と言うのは、君じゃないか。(p.90)
・人間は決して人間に服従しない。奴隷でも奴隷らしい卑屈なしっぺ返しをするものだ。人間には、その場の一本勝負に頼るほか生き延びる工夫がつかめぬ。(p.94)
・無垢の信頼心は罪なりや。ヨシ子は犯され、一生よろよろしないとならなくなった。(p.119)
・ガチャンと鍵がおろされました。脳病院でした。いいえ、自分は狂ってなどいなかったのです。神に問う。無抵抗は罪なりや。人間、失格。(p.132)
・「廃人」は、どうやら喜劇名詞のようです。幸福も不幸もありません。(p.134)
・上昇指向によっては真の反逆は不可能だ。まず自己を破壊する下方指向に徹したのだ。自己の欠如感覚を、逆に深めた。弱さを一生涯持ち続ける強さがあった。(p.148)

(感想)
・原田朱美さんの呼びかけは、18才の若者にストレートに届くと思います。
・「奇怪な・忌まわしい写真と、地獄の馬・陰惨な絵は」は、リアルな現実と思います。そこから逃げてはいけないと思う。
・“ヨシ子は犯され、一生よろよろしないと” は、人間の回復力 を認めるといいと思う。「犯されても」 本人は何も変わってないと思うから。本人は本人かと。 人が変わるには、何でも話せるような安心の場があればいい。
・上昇指向と下方指向は 表と裏 の関係に見えます。対等な横のつながりなども可能です。
・“弱さを一生涯持ち続ける強さがあった”解説で奥野健男さんは、“考えてみると、40才が強さを持ち続ける限度であったかもしれない”と述べている。私は一生持ち続けたいと思う。

~田中敏夫記~


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