書籍紹介

「“死にたい”、“消えたい”と思ったことがあるあなたへ」を読んで

“死にたい”、“消えたい”と思ったことがあるあなたへ」(河出書房新社編)を読んで。
~ 自分の価値は、他者と結びあい尊重しあうという 関係の中から生まれる ~

① 〈この本には、「14才の世渡り術」という冠が付いています。 2020刊。〉

主婦・精神科医・漫画家・文化人類学者・作家・SW・ラッパー・声優・自殺防止センター・ライター・you tuber・プラスサイズモデル・ろう者・バンド・文筆家・詩人ら25人が、10代の若者にむかって執筆しています。

とても印象に残った発言は、4点でした。(観念的・心臓・手話は・一人で暮らす)

・「死にたいは観念的な場合が多い。事実に基づかないで頭の中で組み立てられたもの、と言う意味です。気持ちは死にたがっているけど、実際の自分の身体は死にたがっていないということ。」
(斉藤環さん。p.114)
・「例えば心臓。心臓は君の意志とは無関係に動きます。心臓には簡単に止まることがないよう電気信号を出せる場所が三つあります(洞結節・心房と心室の接合部・心室)」(磯野真穂さん。p. 33)
・「手話を覚えてはいけないという思い込みが揺らぎ、このまま我慢して普通学校へ通っていたら、近いうちに僕は自分を殺してしまう。逃げるようにろう学校へと進学しました。(p. 159)
手話は、表情や・まなざし・身体の動きまでも意味があり、それら全てを統合して理解するべき、複雑かつ情緒に満ちた言語でした。 あなたが孤独を受け容れることができた時、あなたの言葉に引き寄せられて出会う未知の言葉があります。そこから始まる関りこそが、本当の希望となります」(斉藤陽道さん。写真家・ろう者。1983生)
・「私は今42才。父と兄の住所は分からない。母とはめったに連絡を取らず。父は酔っぱらって家で暴れた。兄はストレス解消法で私への暴力があった。私が辛い時間を忘れられるのは絵を描いている時だったが、美大へは行けず、短大(文学部)に進学した。10年近くの引きこもりをした後、支援者の手を借りて実家を出て、一人暮らしを始めた。生活保護を3年受けて、仕事を得て一人で暮らしている。子どものころ、自分の家族とずっと暮らさなければいけないのだと絶望していたが、そんなことはなかった。これを読んでいるあなたが、今を懐かしく思える未来が来ることを祈りたい。それは決して不可能ではない。あなたと同じこども時代を生きた私が言うのだから。」(p. 185)
(小林エリコさん。文筆家・漫画家。1977生)

②〈私のこの30年間を振り返って〉

死にたい・消えたいと思ったことはないですが、〈生きる・死ぬ〉を20才で1年間考えたことがあります。本を読んだり、太宰治が心中した玉川用水に行ったりして、考えました。
出した結論は、なぜかシンプルでした。精一杯生きて、死を迎える。
12年前、急性心筋梗塞で緊急入院した時、2日間集中治療室にいました。声が出て来ないのです。
医師からは“この2日間が大事です。しゃべらないでください。”と言われました。
死ぬって、こういうことかなと感じました。
カテーテル手術で心臓の詰まった個所を開通させていただいた時、快感が走りました!
相談支援の中で自殺未遂をした親子がいました。救急車で病院へ運び込まれたと聞いて、駆け付けました。入院中に、自殺の動機を聴きました。その二つの問題は、間もなく解決しました。
親が狭い視野の中で判断したのです。事情を話してくれた子どもとは、そこで少し信頼関係ができました。信頼抜きに相手を理解することはできないことを、知りました。
死にたいと言う子どもの母親から相談がありました。家庭環境を聞いて、死にたいという気持ちが少しわかりましたが、本人とは話せませんでした。できることは、周りで心配している人がネットワークを組んで見守る事でした。幸いにして、発見が早く、入院することができました。ただ、時間をかけた寄り添いが必要でした。相手との応答が続くうちは大丈夫だと、思うようになりました。

初恋は高1でした。ラブレターを出して、断られました。しばらく悩み考えて思ったことは、自分で自分に恋をしていたのかな、でした。
本格的な初恋は、その4年後。今度は相手をじっくりと1年間観察しました。しかし相矛盾することとなり、失恋に終わりました。土台ができていなくて、自分は未熟でした。
この10年ほどで、ようやく「成熟する」を意識するようになりました。
自分はかけがえのない唯一の存在だと思うと同時に、大勢の人たちの中の一人だとも思う。
相矛盾するようなバランスの中で、生きていると思う。それでいいのではないか……。
自分の価値は、他者と結びあう中から生まれていく。他者から尊重される、新たな成熟した信頼関係が育っていくといいと、思うようになりました。

③〈この本で印象に残った文章をいくつか紹介します〉

・「磯野真穂さん」(文化人類学者)
“しかも身体のすごい所は、私たちはどんなに負荷をかけても、嫌だとか、ちょっと休みますとか言わないことです”
“自分の意思とは関係なく動いているのに、そこに自分を見出すのはおかしいでしょ”
“しかも自分でないのに自分を支えてくれているものをそう易々と傷つけてはならないと”

・「末井 昭さん」(作家・1948生)
“僕はこれまで死にたいと思ったことはありません”
“僕は自殺という本を書いていることもあって、死にたいという人からメールや手紙があれば、たいてい会うことにしています。知らない人と会って少し話をするだけで、死にたいという気持ちが消えることがあるのです”
“危機一髪を乗り越えれば、あのとき死ななくてよかったと思える日が必ず来ます”

・「斉藤 環さん」(筑波大学教授・精神科医、1961生)
“では永遠に終わりが見えない、つらく苦しく、不安で死にたい気持ちに襲われたとき、どうすればいいでしょうか?”
①ひとまず、その気持ちを何らかの方法でアウトプットしてみてください。自分の身体の外に出してください。書いてみてください。
②それは身体の味方をすることです。気持ちは死にたがっているけど、実際の身体は死にたがっていない、ということです。

・「モモコグミカンパニーさん」(楽器を持たないパンクバンド・Bish のメンバー)
“中学生や高校生のころにも死にたいと思ったことはあるし、Bishに入ったばかりの頃や、最近でも「もう死んじゃいたい」と思うことはあった。
でも、本気で「死にたい」って思って追い詰められて、行きつくところまで行きついたときに、本当は死にたいというのは、「生きたい」と言うことなんだと気がついた。“傷つけられたばかりで、まだ傷が癒えてないときはすごく痛々しく見えるけど、それがだんだんかさぶたになって、やがて取れたとき、とてもきれいな模様になる。
その痛々しい傷がかっこよくキレイな模様になるまで生きたら、もっともっと魅力的な人になれるはずだ”

・「岩崎 航さん」(詩人・筋ジストロフィー患者。1976生)
“私も17才の時に、自分で死のうとしたことがあります。難病の筋ジスを持っていたので、自分のこれから先の人生に良いことはない、こんな不自由な身体で、できないことばかりの辛い毎日から逃れたいと思ったからです。
部屋で死のうとしたと思いつめたとき、次の瞬間「自分はこうして苦しみ、悲しむだけに生まれてきたのではない」と激しい怒りがこみあげて、死ぬのを止めました”
“大きな壁、先の見えない悩みや苦しみに直面したとき、大事にしたいと思うのは、自分の本当の気持ちを折りたたまないということです。闘ったことは、必ず活きて自分を支えてくれるし、生きる手応えになっていくと思います”

(田中敏夫記)