◯「僕は卑下するのが板についてしまっているんだ」と祖母に言ったA君。
“ドーンと構えればいい” と、祖母。
「それができない」と、A君。
その話を聞いて、私からは~
“しばらく前まで親を責め立てていたけど、この頃はしなくなったよ。
口調が落ち着いてきて、自己主張もするようになり、外へ出た時も緊張がとれて来たみたいだね“
と、応答しました。
そして、整形外科へ通院し始めて、ストレッチを教えてもらって、家でやっていると聞いて、これで
A君の自己愛も育っていくと感じました。
このごろA君から連日のように電話が来ます。 穏やかに話し、そして 自由気まま に遠くまで
散歩しているそうです。 自分をけなさなくなってきました。 気づき始めたようです!
「遠くまで歩けることが素敵なんです。溜まっているものが、外へ発散していくみたいです。(笑)
身体的に整えると、自己愛も育っていくみたいです。 この本も、パラッ と読んだら読めそうです!
軽く読めばいいな、と思いました。」
● この本の中に、〈自信のなさ〉に触れたところがあります。 (p.182)
「もっと極端な例で言えば作家のフランソワーズ・サガン氏がいます。 自信をなくすことのない
人間っているかしら。私は自信を持つときがありません。だから物を書いているのです。自信の
ないことが、わたしの健康であるわけです。」 (「サガンの言葉」より)
そして、日本には太宰治がいます。 自傷的自己愛の元祖みたいな人です。
「私たちはこの自信のなさを大事にしたいと思います。卑屈の克服からではなしに、卑屈の率直な肯定の中から、前例のない見事な花の咲くことを、私は祈念しています。」 ({太宰治全集}より)
「我執すなわち自己愛を捨てるということは、ほとんどの人にとって至難の業ではないでしょうか。
少なくとも私には無理そうです。私たちにできることは自己愛を捨てるのではなく、成熟させることだけでしょう。」 (p.197)
スマナサーラ氏の本から、「無常を知る人」の特徴を抜き出してみます。
・性格が柔軟で賢い。 ・注意深く失敗しない。人間関係のメンテナンスを怠らない。
・落ち着いていて、パニックにならない。 ・過去を後悔せず、未来に期待せず、明るい。
・楽しく生き、心を育てる。 (p.198)
更に、「対話の実践=オープンダイアローグの手法的・思想的側面は、間違いなく自傷的自己愛の
修復において役立つでしょう!」 (p.231)
「対話場面に上下関係を持ち込まない。専門家が参加していても、専門家としてふるまってはいけない。真の意味で専門家と患者が対等に対話する。他の人が発言している時は、遮らない。アドバイスは禁物。できるだけ多様な意見が出ることが望ましい。 一通り話を聞き終わり、話の流れが滞りそうになったら “リフレクティング” を入れます。ファシリテーターが感想を、本人の前で話すのです。」
(p.236)
対話実践では、対話が続いていくことを目指しています。
これは治療ではありまでせん。 限りなく、ケアに近い営みです。 (p.262)
◯ 斉藤環さんは言う。 「当事者は自分のことを卑下しながらも、意識は常に自分のことに向けられて
いた。その体験から、自分が嫌いという感情が自己愛に由来することに気づいた。」
「自分に自信がないのは、社会の中で尊厳を踏みにじられ、傷つけられてきたからだということに、
思い至ってほしい。」
「私は本書で自己愛を、自分自身でありたいという欲望、と定義しました。」
「自傷的自己愛は病気ではありません。異常性格や認知の偏りといった問題でもありません。
自分自身の愛し方が分からなくなった人が、たまたま迷い込んだ迷路のようなものであり、
その原因のほとんどが環境の側にあります。」 (p.251)
私からも一言。
自我を捨てる、と言ったのは哲学者の内山節さん。
ソーシャルワーカーとして成熟したい私。
〈我執を捨てる&成熟する〉の両方は目指せるのでしょうか?
(田中敏夫記)