「中井久夫 人と仕事」(最相葉月著・みすず書房・2023刊)を読んで

最相さんは、“傲慢が跋扈し、世界を分断する今・・・願わくば、中井の遺志がいつまでも現場の働きの中に受け継がれんことを!“ と、締め括っています(敬称略)

〈「セラピスト」(最相葉月著・2014刊)を書いた最相さん。 この本では 中井久夫という人を、
遺志を、今後の課題を書こうとしたと感じました。 “中井は異常ではなく、よい芽を探し見守った” 〉

  • 「地震に指名されてしまった」と中井が語ったように、“災害とトラウマ”という精神医学的課題に、臨床医としての最後の2年間を没入することとなった。
  • 「この世界への基本的な信頼を奪い、つながりを断ち切るのが、犯罪であり戦争である。」
  • 「神田橋條治は言う。中井はウルトラマンである。超人とかスーパーマンとかの意ではない」
  • 「自分の仕事が残るとすれば看護とケアの世界だろう。 対話によるケアの手法・オープンダイアローグが日本に紹介されたことは、ケアの力を証する重要な契機と捉えることはできないだろうか」
  • 「ライヒマンと言う精神科医が警告している~ 大事なのは、治療の成否に自尊心やプライドを置かないということでしょう。」
  • 「最相が中井に、双極性障害Ⅱ型ですと言うと、“ほう。私と同じですね。休むのが苦手でしょう”」

中井と私が出会ったのは、「看護のために精神医学」(山口直彦と共著・2001刊)でした。

新聞の書評に、「トラウマの現実と向き合う」(水島広子著・2010刊)を紹介したこともありました。
当時は、回復過程に着目した精神科医という印象。 以下のような「セラピスト」の文章に憧れました。
「クライアントを支えるのはセラピストの存在そのもの。クライアントの人生に自らを重ね合わせながら日々変化し続けている。クライアントに掛けた言葉は、セラピストに跳ね返る。有用な診療が行われているかどうか、セラピストが力を尽くしているかどうか、答えは、クライアントの顔に描かれている。」
「不登校だった子が、学校へ行くようになってよかったと喜べるほど単純なものではないんです。そこを治療者がよくわかっていなくて、ああよかったと思ってるときに自殺したりするんです。」(同 p.308)
「中井は病棟を回って話し合い、体の診察をした。余裕感や危機感といったデリケートな部分に光を当て、異常ではなく、“よい芽” を探し、見守った。」 (「中井久夫 人と仕事」p.21)
最相は、「セラピスト」の中で、自らの病い(双極性障害Ⅱ型)について語っています。 “自分自身をつまびらかにすることなくして、他者のプライバシーに踏み込むことはできないと考えた。 また心理療法の発展のために逐語録を公にし、自らを晒してきたクライアントとセラピストに敬意を表したかった“
「中井久夫 人と仕事」のあとがきの中で、最相が自分は双極性障害Ⅱ型ですと言ったところ、中井から“私もⅡ型です。休むのが下手でしょう。悩みに悩むというところがあるね” と即答、とあります。

“楡林達夫”と“上原国夫”、中井には二つのペンネームが、精神科医と文学者という、二つの顔がある。

「日本の医者」(三一書房・1963刊)発刊などで上司から自己批判を求められて、拒否し破門された。
分岐点で中井は常に、意思を貫いてきた!
「“思春期の精神病理と治療」(1978刊)で、精神科医の目にもようやく思春期が見えて来た。中井は、“家族の深淵“ に踏み込んでいった。」 (p.28)

● オープンダイアローグは、精神科病院数世界一の日本のケアの根底を、じわじわと耕し始めています。

2016年.中井はカトリック教会で洗礼を受け、その理由を “傲慢さを治すため” “宗教の方がぼくに声を掛けてほしかったかも” と。

少年のころ、傲慢がカトリックで大罪とされると聞き、自分も傲慢とは無縁でありうるはずがないと自覚してきたので、中井が神の前に立つことは必然であったのだろうか、と最相は述べています。

中井は理論の体系化を志向せず、知見は断片的な形で表現してきた。


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