あの時、自分には自由がなかった。私一番最後だった。何とかしないといけないという考え方は・・・?

~対人支援の熟成⑥~

◯「身体はトラウマを記録する」という本を読み始めた50代女性から、生々しい感想文が届きました。
“読み始めてしばらくして、涙が目に溜まって、そのあと気絶するように寝ました。
シャットダウンした、パソコンを強制終了した感じでした。
私には咎はなかった!ずっと、自分に咎があると思ってきました。
どう自分の気持ちを持っていくのかが、大事だと思いました。
そのあと、目の奥に固まっていたのが、空いたような感じでした。
初めての感覚でした。楽になりました。この1年、ひどい不眠症でした。
私の父は大変な人で、ずっと母に苦労させてきました。母は働き続けてきました。
そんな母を見て、私はずっと支えてきました。共依存みたいに…何かおかしい、私の思ってることが違ってるんじゃないか・・・?半年前から、私のやり方は思い違いではなかったのか?と考えるようになりました。
半年ほど前から、私が何とかしないといけないというやり方は、間違いだったんじゃないか、
と思うようになりました。
あの時、自分に自由はなかった。母は一生懸命仕事をしていたので、助けるしかなかった。
助けることで、母を始めとして、みんなを幸せにできると思った。―私は一番最後だった。
先に自分が幸せを整えることは、考えなかった。
自分に咎はなかったと気づいて、自分の幸せを考えるようになりました。“

(田中からの応答)
今から、始まりますね。続きを待っています。~「共依存と複雑性PTSDのつながり」(信田さよ子)~

「なぜ人は自分を責めてしまうのか」(信田さよ子著・ちくま新書・2025刊)より。
〈第二章共依存を読みとく〉(p.61)
・ “依存じゃないんですか?と、よく言われます。どちらかと言うと、支配と言った方がいいと思っています。
愛情という名の支配。無敵な価値を利用して行われる支配“
・ “共依存には3つの支配の形があります。

① ケアや愛情によって、相手を弱者化することによる支配。
娘のエネルギーや、私はこういうふうに生きたいんです、という意志、瑞々しい感覚や情緒。
たぶんそう言ったものを母が奪っていくわけです。

② 相手にとってかけがえのない、交換不能な存在になることによる支配。
駄目な男にずっとくっついてる女性がいますよね。
男はその女性を手放したくないので、お前がいないと生きていけないんだと言うわけですよ。
これは一つの殺し文句です。言われた方は無上の喜び。

③ 女性にとって最も適応的な支配
ジェンダー的に言えば、相も変わらず日本では、女性に期待されるのは、“かわいいこと・わがまま言っても素直なこと・面倒見がいいこと・ケアできること・世話をちゃんとしてくれること“。

共依存的な人には、どう対処すればいいか?やはりあまり近づかないことです。
共依存と言うのは、この世の支配とは何かを、よく表しているんですね。
この共依存的な支配=愛情と見分けのつかない形の支配と言うのは、どこから生まれて来るのか。
あらゆる支配の背後にトラウマ的なものがあると、最近は考えています。(複雑性トラウマ)
いいことをやってると思ったら、危ないんです。ケアにまつわる支配性を、よく知らないといけない。


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