
「日本の学校に欠けているのは、子どもの行動の背景を探るアセスメント」
~2025.11.23 バーンズ亀山静子さんのインタビュー記事を読んで ~
~ 対人支援の熟成 ⑪ ~
「子どもの行動背景 アセスメントが大切」 “適した教育か 検査や成育歴から評価”
という新聞記事(11.23 朝日)のタイトルと、記事の冒頭に目が吸い寄せられました。
「日本の学校で欠けているのは、子どもの行動の背景を探るアセスメント態勢です。」
ズバリ! そうだと思います。
バーンズ亀山静子さん(ニューヨーク州の学校心理士・早稲田大学大学院講師)の発言です。
対人支援の熟成が、「指導」が基本だった学校でも、始まるといいと思います。
「2030年度から始まる次期学習指導要領では、多様性の包摂が中心に据えられ、議論が進む。」
*中央教育審議会・教育課程企画特別部会の「論点整理(素案)」2025.9.5 より(三つの方向性)
- 主体的・対話的で深い学びの実装
- 多様性の包摂
- 実現可能性の確保
「論点整理(素案)」を読んで、学校が変わるんだ!と感じました。
即 思い出したことがあります。
A君と小4から関わってきて、小学校では、親や児童精神科医も参加して支援会議をしていました。
中学生になり、A君と親に了解を頂いて、中学で支援会議を開いてほしいと、お願いに行きました。
「困り感のない子なので、支援会議をしても無駄です」 が、担任と校長先生の答えでした。
その後、ほかの先生に質問したら、“それは間違いです” と言われました。
学校側は、「困り感の背景を探ろうとしない」のです。
無駄ですと言われた瞬間、ポカーンとして、意味が分かりませんでした。
相談し、家庭教師さんがつき(週1)、私も週1で訪問して対話をすることとなりました。
ゆっくりと、時間をかけて、困り感の背景を少しづつ、本人が語り始めました・・・。
「主体的・対話的な深い学びと、多様性の包摂」
発達障害系の中1を、人とうまく関われない特性を見極めて、席替えで周りを、包摂できる子たちで
埋めてくれました。その担任に感謝でした。
彼は1年後、“あの配慮はありがたかった” と言いました。
一方で、担任が細かなルールをいっぱい決めて、クラスにルール係を任命したケース。
朝礼で担任が、自分語りや説教を長々と話し、こどもたちのユニークな発想を否定したケース。
一人の先生が一つのクラスを「責任を持って運営する」ことが、多様性の否定となっている負の面を
見てきました。
多様性の包摂とは、受動的な意味だけでなく、異質なものを積極的に受け入れ、それを吸収して制度を構築し、社会全体の活力に変えていくことだと思います。
2年前、刑務所でオープンダイアローグが始まり、5年後に学校で対話的な学びと多様性の包摂が始まる。
これは学校が変わるだけではなく、地域と産業構造が変わる土台になるのかもしれません。
11.23インタビュー記事の骨子です~
- 2030年にも始まる次期学習指導要領では、“多様性の包摂” が中心に据えられて議論。
- ニューヨーク州の学校では、“トラブルが多い” “勉強がすすまない” の相談があれば、専門職員らがアセスメントを行い、60日以内に教育方針を出します。
- 医療的検査、心理的検査・教育的検査を行い、成育歴をたどって、家族・担任・個別指導の教員らからも聞き取りをし、教室の様子を見に行って、幅広い視点を入れて議論します。
- その後、個別の目標やカリキュラム、学級の形態、支援などの計画を造り、親にも同意を。
- 大切なのは 評価 です。 目標に達しないのは子どもの責任ではなく、学校側の責任が法的に問われます。 だから、子どもに適した指導かを確認します。
- 日本の場合、教員やスクールカウンセラーらの、属人的な学びや経験値に頼ることが多い。
他の子の中で遊ぶ様子を見なければ、判断はできません。 日本では教員以外を教室に
寄せ付けないような学校文化も根強い。
米国では、スクールサイコロジストやスクールカウンセラーなど、特化した養成プログラムが大学院にあって、免許がもらえます。
日本も、心理や福祉や学校教育と結び付けて専門的に養成するコースが必要です。 - ・ アセスメントの態勢や大学での養成から見直さなければ、学校教育からはじかれて大人になっても引きこもってしまう人や、保護者からの苦情も減らないのではないでしょうか。
(田中敏夫記)

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