対人支援で熟成する ということ。

~対人支援(SW)の熟成 ⑨~

*SW(ソーシャルワーク)~社会的に困難な状況のある人の相談・支援をすること。

 35年ほど前、送迎と話し相手のボランティアを数人で始めました。5年ほどして、プロを意識し始めました。 16年前、ある先輩から “孤立者支援の相談室で、メンタル系の相談に応じられる人を増やしたい” と声がかかり、対人支援の世界へ飛び込みました。 多くの人たちと向かい合い、「身体知と言語~対人援助技術を鍛える」(奥川幸子著・中央法規・2007刊・*対人支援の熟成①~④をご覧ください 対人支援の熟成リンク )を読むなどして、対人支援の熟成について考えてきました。  しかし、この本を何回か読んでも、最後の対人支援の熟成の項に来て、いつも整理つかなくなっていました。

支援者だけが熟成するのか、相談者ともども熟成した関係になるのか?

① 〈こどもに対して、一人の人間として向かいあってきました〉

“僕はあなたをガキ扱いはしないよ。一人の人間として向かいあうから” と、初めて会ったこどもに伝えます。 そして親と会って、こどもとの関係や、居場所になっているかを聴きます。

中には、こどもが親と会わせることを拒否する例もあります。時間をかけて会う努力をします。

祖父母と先に会う場合もあります。 

拒否するのは、何らかの虐待があることが、そして具体的な理由を言わない子が多いです。

虐待を受けても、親が大遊園地へ連れて行ってくれたことを、嬉しそうに話す子も多いです。

友人らとのつながりができてくると、自然な形で親ともつながります。

親が離婚しているときは、了解を頂けたら、離婚した相手に会います。

祖父母と会うのは、親がどういう環境で育てられたかなどを知るためです。無償の愛を感じることが多いですね。 無償の愛 というものを知らない親も多いです。

家族の生きる力や死生観などを聴きます。そして、キーパーソン(支えるうえで一番重要となる人)

となる人がいるかを探します。

家族の中に何らかのケアが必要な方がいる場合もあります。 何とかなりそうな方から順に、関わります。家族の誰かが変われば、周りも変わり始めます。 連携や支援チームが必要な場合もあります。

② 〈指導するのではなく、寄り添う〉

 35年ほど前、“送迎と話し相手” のボランティアを始めました。(孤立・貧困・トラウマ)

  一番長かった傾聴は、3時間でした。そのお年寄りは、人生を話し切って満足したようでした。

3年後、ボランティアグループを立ち上げましたが、5年ほどで解散。その理由は、“話を聞く” ことに疲れてしまった仲間が多かったから、と思います。聞くって、エネルギーが必要です。

精神科の若いSWさんから、“田中さんはボランティアのプロですね” と言われ、プロを意識し始めていたころです。 ボランティアにもプロはいるんだ! そう思いました。 

長野県東信地域で活動しながら、尊敬できるプロを探し、何人かと出会いました。

16年前、“孤立者支援の相談室でメンタル系の方の相談に乗れる人を求めている” とある先輩から声がかかって、即 “やりたいです!” と対人支援の世界(月給)へ飛び込みました。 

  その相談室の基本は、“来た人を断らない。支援会議には本人も参加する” でした。

  “あの相談室は親身になって相談に乗ってくれる” との評判が立ったようでした。

16年間の話を支援専門職の方と話していて、 “支援連携する人と、一度もケンカしたことはないです” と言うと、皆さんから “それはすごい!” と、予期せぬお褒めの言葉をいただきます。(笑)

ケンカする方が多いみたいですね。 結果として、それは相談者の方のためにはなりません。

喧嘩とは違いますが、怒らないのは怒る価値がないからです。怒る時は瞬間湯沸かし器で怒ります。

相談支援は、お互いの信頼関係がないと、進んでいきません。

例えば、 ある学校の支援会議の席で、主導的な役割をはたしてきた校長先生が突然、“この支援会議は初めからやるべきではなかった“ と言って、席を立ちました。校長先生はこれまでの体験から、

  この支援には自信があったのでしょう。しかしうまくいきませんでした。

例えば、発達障害と言っても一人ひとり違うのです。親の子育て能力も一人ひとり違います。家族力動(精神の動きが織りなす動き)を総合的にみる必要があります。本人のことを知るには、保育園と小学校の連絡ノートがよくわかります。また、支援会議には本人は出席していません。

 「指導できる」と考えるのは上から目線です。 本人や親と方向性を共有できていないといけません。

  本人や親と面接しながら、これからどうサポートしていくかを見定めるのが、アセスメントです。

  困ったときに、行き詰った時に、バクアップしてくれる存在を確保しないといけません。

  共に振り返りを繰り返しながら、柔軟に軌道修正していくと、方向が見えてきます・・・。

③ 〈相談者がSWの支えになることもあります〉

SWとして内面が成熟するにつれて、他者を自分の体に受け入れる容量は増えていきます。

そして、相談者は少しづつ自分で選んだ道を歩み始めます。

  相談者が対話・回復・自律していく中で、SWの支えになることもあります。

  「身体知と言語」(奥川幸子著)の最後の方で(p.564)、〝熟成の行き先は・・・“ とあります。

  “ここで記していることは、象徴的な意味で、〈巫女〉や〈シャーマン〉〈さにわ〉という言葉を使用しています。これまでの記述とは異なり、私が積み重ねてきた実践の中で検証できている内容ではありません。 別書で熟考し、表現してみようと考えている主題ですが、本書で少しだけ表現しておきたく、感覚の段階ですが入れました” と述べています。(p.567)

  “自分の芸を磨き続けなければ腕は低下しなくとも鈍る。そのためには、クライアントの 転移 を意識でき、かつ、専門的な援助関係も活用できる。その際に援助者自身の 逆転移 を制御できるように自分自身を置いておくことへの意識・・・” (p.565)

    “昔に生まれていたら巫女になっていただろうと思える現代のソーシャルワーカーは、ことばで説明できなければ自分自身の行為を信頼できないことと、他者に対しての説明責任を果たせないので、自分自身の能力を持て余し、その能力に見合う身の丈・知性を身に着けるまでは相当苦しみます。 ですが、言語化能力を身につけ、自分自身の内面の成熟が伴いますと、素晴らしい援助者になります。この姿が対人援助者の理想形だといつしか考えるようになりました” (p.571)

  「言語化&内面の成熟が・・・対人支援者の理想形」が、成熟の行き先だと私も思います。

    “当時の私が存在の危機に直面し、精神分析医のところに通っていたころ、かつて関わったクライアント(インド哲学専攻)から電話がありました。・・ところでいまお元気なの? いやー、あんまり。 義母が自殺未遂をしたとき、あなたは 私のせいではない!と言ってくださった。義母の精神科の主治医と二人だけ! 私の命の恩人なの、今度は私が奥川さんを助ける番です。 えらく確信に満ちたことばでした“ (p.570)

    対人支援の熟成って、お互いにこころを開きあい、魂をぶつけあい、助け・助けられる関係を作れることではないか、と思います。

  奥川さんはこのあと、“このことは私の人生や人格を左右するほどのものにはなっていません”(p.570) と述べていますが、私にはこれが熟成した関係だと思います。(確信に満ちた言葉)

  私にも同じような方が、 “あの日から、自分の中に、強い温かいものが生まれたんです”

  という方がいました“

④ この続きは、「ス-パービジョンへの招待」(奥川幸子監修・河野聖夫著・中央法規・2018刊)

 を読んで、「対人支援の熟成⑩」に書きたいと思います。

 奥川幸子さんは、2018年 死去されました。


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